【略 歴】
高橋 正哉(たかはし まさや)、1979年2月28日生まれ、大阪府和泉市在住、妻1人・息子3人の家族構成
2003年に新日本監査法人(現 EY新日本有限責任監査法人)に入所し、2011年に会計系コンサル会社にて各種アドバイザリー業務に従事。2013年に自身の会計事務所を設立し、2021年12月に新月有限責任監査法人の代表社員に就任。
上場(準備)会社の会計監査の実務統括者としての業務に従事するとともに、株式上場(IPO)支援・財務DD・企業価値評価・IFRS導入支援・内部統制構築支援・経理業務改善等の業務にも従事。製造業、外食産業、ITサービス、陸運業に携わる機会が多い。
2014年より東洋機械金属株式会社の社外監査役、2020年より株式会社サカイ引越センターの社外取締役として、コーポレートガバナンスの強化にも従事。
2021年より新月有限責任監査法人の代表社員として上場(準備)企業の会計監査に従事。
新月有限責任監査法人 代表社員(2021年12月~現在)
高橋公認会計士事務所代表、社外CFO合同会社代表社員
YouTubeチャンネル「できる人の会計力講座【新時代の必須スキル】」運営
株式会社サカイ引越センター(東証プライム)社外取締役 (2020年6月~現在)
同志社大学 技術・企業・国際競争力研究センター 共同研究員 (2017年4月~現在)
東洋機械金属株式会社(東証スタンダード)社外監査役 (2014年6月~2024年6月)
1979年(0歳)
大阪府和泉市に生まれる
1996年(17歳)
麻雀、バンド活動にはまる
1997年(18歳)
大阪府立大学 経済学部経営学科 入学
1998年(19歳)
バイトとバンド活動に明け暮れる
2000年(21歳)
資格試験の勉強を始める
2001年(22歳)
大阪府立大学 経済学部経営学科 卒業
無職(2年半無収入)"
2003年(24歳)
公認会計士2次試験合格
新日本監査法人入所
2007年(28歳)
上場企業の会計監査の主査(実務責任者)を担う
2008年(29歳)
M&A案件の財務デューデリジェンス、IFRS(国際会計基準)導入支援、内部統制構築支援、株式上場支援、海外子会社監査プロジェクトなどのコンサルティング業務の実務責任者等を担う
結婚
2011年(32歳)
会計系のコンサルティング会社に転職。業務改善、不正調査、新規事業評価、企業価値評価などのコンサルティング業務の実務責任者等を担う
2012年(33歳)
高橋公認会計士事務所 設立 所長【現任】
2014年(35歳)
東洋機械金属株式会社(東証スタンダード)社外監査役 就任【2024年6月まで】
アントレプレナーファイナンス実践塾 第8期生 (4月〜10月)
2015年(36歳)
社外CFO合同会社 設立 代表社員【現任】
盛和塾大阪(2015年4月~2016年12月)
2016年(37歳)
成れる会大阪マーケティング 代表 就任
2017年(38歳)
同志社大学 技術・企業・国際競争力研究センター 共同研究員 就任【現任】
2018年(39歳)
一般社団法人成れる会 理事 就任
3人目の息子が生まれる
ダンスイベントに初出演
2020年(41歳)
株式会社サカイ引越センター(東証プライム)社外取締役 就任【現任】
2021年(42歳)
新月有限責任監査法人 代表社員 就任【現任】
2023年(44歳)
YouTubeチャンネルの登録者が7000人を超える
現在に至る
生成AIツールの活用
運動(筋トレ、ウォーキング等)
ガジェット
格闘技を見ること
経営、会計、ファイナンス、ガバナンス
会計士業界を活性化する
家族(妻一人、息子三人)で「生きる力」を付ける
息子達を育て上げる
ストレングスファインダーでの強み・・・親密性、個別化、アレンジ、信念、責任感
自己評価・・・ビビリ、正義感強め、人の痛みが分かる(つもり)、責任感強め、脅迫観念強め
他者評価・・・人情味、人間力、包容力、安心感、弱さの開示、明るさ、信念、熱さ、親密さ
志高く
常に全力
かっこ悪い生き方はしない
知りながら害をなすな
小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり
■ 数字を扱う面白さ、相性の良さを認識した大学受験
高校は、実家から自転車で1時間ほどの場所にある私立の進学校に通う。
まわりが大学受験に向けて勉強しまくっているのに、ほとんど勉強らしい勉強をせず、休み時間には麻雀、放課後はバンド活動に明け暮れ、 敵前逃亡を繰り返す。
そんな生活を続け、高校2年生の秋くらいには、 成績の悪い方のクラスでケツから数えた方が早いところまで成績が落ち込み、危機感を感じて猛勉強をはじめる。
本気で勉強を始めた途端、数字を扱う科目(数学)については、グングンと成績が伸びていく一方、数学以外の科目については、なかなか成績が伸びず。
結果、 センター試験での数学の成績は満点 (他の科目はぼちぼち)がとれ、数学のおかげで大学に滑り込む。
今、思い返してみると、数字を扱う面白さ、相性の良さを認識したのが、大学受験の時であった。
■ 公認会計士を志した大学時代
大学入学後は大学にはほとんど通うことなく、バンド活動とバイトに没頭する。
バンドは、洋楽のロックをコピーすると同時に、オリジナル曲も制作して、数ヶ月に一度、ライブを行う。当時、流行っていたビジュアル系にのっかっていた。(その当時の写真は恥ずかしくて見れない。(*_*))
バンドメンバーがプロを目指すと言い出したことをきっかけに自分の将来をどうするかを真剣に考えだす。
自分(担当はギター)に才能がないことはバンド活動を通じて感じていたので、以前より父親から勧められていた公認会計士を目指すことになる。
余談であるが、のちに、バンドメンバーの一人が、昔から憧れていたX JapanのYOSHIKIのマネージャーとなる(東京とロサンゼルスを往復する姿を見て、 想いを持ち続ければ夢は叶う 、という事を目の当たりにする)。
公認会計士を志してから、3年半で無事合格(2003年、24歳の時)。
資格試験の勉強中は、お金がなくて、100円のジュースを買うのもためらうような時代を過ごす。
もう1年資格試験の勉強をすることはできないくらい、疲弊していた。
両親と彼女(現在の妻)に、金銭面や精神面で大いに支えられた3年半を過ごし、 家族の大切さを身に染みて感じることとなった。
■ 全てのベースとなっている大手監査法人での経験
会計士に合格した年は、就職氷河期の時代であったが、運良く大手の監査法人に就職することができ、社会人生活をスタート。
大手監査法人に在籍した 7年半は死にもの狂いで目の前の仕事に没頭し、ここで会計士としての基礎を叩き込んで頂いた。
一緒に仕事をしていた先輩や同僚、そして後輩には今も公私にわたり大変お世話になっている。本当に良いメンバーに囲まれた。
日本一のチームになると豪語し、チームで仕事することの大切さ、人との信頼関係や絆の重要性を学んだ。
独立した今もチームで仕事を重視するのは、ここでの経験があるからだ。
仕事人としての自分のアイデンティティも、このチームで養われた。
「本当にクライアントの事を考えているか」「クライアントの事を好きになっているか」「真剣にやっているか」「全力で取り組んでいるか」「仕事ができなかったら、かっこ悪いぞ」「事前準備で仕事の成否は7割がた決まる」「レスポンスは早くしろ」などは、今の自分の仕事に対するスタンスとして、血肉になっている。
不甲斐ない自分に心が折れそうになることもあったが(トイレで一人泣きしたこともあったような・・・)、監査法人での経験が全てのベースになっている。本当に感謝しかない。
ちなみに、大手監査法人時代やコンサルティング会社時代にご縁を頂いたクライアントと、独立した今もご縁が続いているのは、本当にありがたい。
苦しい時に逃げないで共に戦うことが未来に繋がっていく 、ということを心から感じている。
■ 現状打破(大手監査法人を退職)
監査法人時代は会計監査人という立場上、若くから大企業の経営者の方々とお話させて頂く機会があった。
経営者の圧倒的な存在感に「自分との違いは一体何なのか?」「このような経営者の方々と腹を割って話ができる人間になるためにはどうしたらいいのか?」ということを漠然と考えていた。
このまま監査法人という組織に居続けても、経営者の方々と対等に話す事はできない。そもそも負っている責任やリスクが全然違うのではないか?という想いがあり、監査法人の外に出て、リスクを負って自分の責任でやってみたい、という想いも抱くようになる。
また、監査法人は会計や数値というものを扱うプロフェッショナルな集団なのに、そこに魂がこもっていない、会計が活(生)きたものになっていないのではないか、という焦燥感も抱いていた。
それから、懇意にさせてもらっていた経営者の方から「監査法人には分からないことが実務にはたくさんある。本物の会計士になりたいならもっと(企業内の)実務を知りなさい 。」と言われたことが、自分の中でひっかかっていた。
監査法人在職中は、上司、部下、クライアントに本当に恵まれていたが、これらの想いから次のステージに行きたくて、監査法人を退職することにした。
■ 逃げるように大阪に帰り、独立
監査する側ではなく、企業により近いコンサルティングをしたいということで、コンサルティング会社への転職活動を始めるが、当時、転職市場は買手市場ということもあり、なかなか転職先が見つからなかった。また、監査法人での監査経験というのは、自分が思っているよりも転職市場での評価が低い、という事実もその時に目の当たりにする。
たまたまご縁のあった会計士の方に紹介してもらった会計系のコンサルティング会社に拾ってもらう事になり、上京して転職。そこで、2年弱勤めることになるが、最終的には逃げるように退職し、大阪へ帰る事になる。
この東京でのコンサル会社勤務時代が、人生で最も苦しんだ時期だ(特に後半の1年)。それまで培った自信を完全に喪失し、肉体的にも精神的にもボロボロになり、死を意識した時期もあった。
そんな時、死なずに何とか持ちこたえたのは、家族とごく一部の信頼できる人の支えがあったからだ。特に父親からの言葉には本当に助けられた。父親としての言葉、人生の先輩としての言葉を噛みしめながら生活していた1年間でもあった。尊敬する先輩からは「いつでも大阪に帰ってこい」「何とかなる(してやる)」との言葉にどれだけ救われたか分からない。本当に感謝しかない。
当時は本当につらかったが、今となっては、人生で大切なものを沢山得ることができた2年弱であったし、今は東京のコンサル会社時代に関わった全ての人に感謝している(実際、独立してからとても懇意にさせて頂いている人が沢山いる)。
というわけで、東京では2年弱の濃い人生経験を積み、大阪に帰ることになったわけであるが、逃げるように独立した、というのが正直なところである。
■独立してからの試行錯誤
独立してからも、試行錯誤は続く。
大阪に帰ってきたのは良いものの仕事がない。数ヶ月間収入がないという時期もあり、キャッシュ・インが無いことの恐ろしさを身をもって知る(それだけキャッシュ・アウトが多いということを預金残高の減少を持って気付かされる)。
信頼している会計士の先輩から少しづつ仕事を分けてもらったり、下請けをさせてもらったりして、少しづつ売上があがるようになる。
多少なりとも大阪勤務時代に積み重ねてきた信頼があったからか、私自身の仕事も少しづつではあるが受注できるようになる。
「これは辛い」とか「しんどいな」と思う時に真正面から逃げずに全力で取り組んでいれば、その後の人生で繋がっていく(声をかけてもらえる)ことを実感することにもなった。
また、独立してからは、経営者(の端くれ)として事業を進めていくことになったわけであるが、その難しさを痛感することになる。
思うように受注出来ず、不安で不安でたまらない、というように眠れない夜を過ごすこともあった。
勤務していた時は、営業やマーケティングについて真剣に考えることはなく、仕事のクオリティだけを追求していれば良かったのだが、それだけでは仕事は受注できないということを痛感する。
それでマーケティングや営業についてのノウハウを得るために、数百万円の投資を行う事になるが、なかなか結果が出ない、という期間を過ごす。
ノウハウを得れば(知れば)結果が出るのではないか、と思っていた時期で、とにかく教材やDVDを手あたり次第購入(一度も見ずに捨てたものもある。)。
そんな時、成れる会と出会い、経営者としてのマインドセットやマーケティングについて理解を深め、実践することで自分の軸が出来上がっていった。
独立してからのこのような経験が、クライアントに会計プラスアルファ(マインドセットやマーケティング)の価値を提供するのにとても役立っている。
独立の経緯は全く誇れるものではないし、独立後も試行錯誤を繰り返し、今もまだまだ発展途上にある。しかし、やるからには本気でやろう、依頼頂く事に全力で対応しよう、ということでやってきた。
そうこうしているうちに、独立して8年が経過。
■大切にしている価値観
クライアントにサービス提供するにあたって大切にしている価値観について、いくつか紹介したい。
「志高く」という言葉。坂本龍馬が好きで、20代の頃に「龍馬は行く」を読み、「男なら志高く生きよ」という言葉に魂が震えたのを覚えている。それ以降、自分自身、志高く生きようと心掛けているし、周りの人の志を大切にしようと思って生きている。ちなみに、息子(長男)の名前には「龍馬」の「龍」を使わせて頂いた。
「かっこ悪い事はしない」という言葉。自分の人生の理念の一つでもあるし、言動のベースになっている。社会に貢献するとか、歴史に名を刻むとか言いたいが、魂がこもらないのが正直なところ。使えないと意味がないので「かっこ悪くないか?」というシンプルな判断基準で日々なるべく過ごすようにしている。尊敬している先輩から身をもって教えて頂いたことでもあり、自分の中でも凄くしっくりきている。
「知りながら害をなすな」という言葉。ギリシャの名医ヒポクラテスの誓いとして表現されている言葉で知った当初は大きな衝撃を受けた。プロとしてクライアントに接するのであれば、知りながらクライアントにとって害となることはしない、ということ。プロとして当たり前のことと言われるかも知れないが、世の中のプロと言われる人で、これを本当に実践できている人は多くないと思う。この言葉を念頭に置き、自分を律しながらクライアントと接することを心掛けている。時には、それを伝えることによって、クライアントとの契約が終了になっても、実践しようと心掛けている価値観である。
「常に全力」という言葉。仕事でも趣味でも家族との時間でも、常に全力でありたいと思っている。それが現時点で最高の結果を生むために自分ができるベストだからだ。それ以上でもそれ以下でもない。最高の結果を生むために必要な考え方だし、後悔のない人生を送るためにも必要な考え方ではないかと思う。また、全力でやっていれば、年齢や能力や経験の壁を超えられる瞬間がある。全力でやっている人はシンプルにかっこいい。広岡勝時さんというコンサルタントの方から数年間をかけて身をもって教えて頂いたことでもある。
「小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり」という言葉。小さな善い行いは時に相手にとって悪い結果を生むことに繋がり、大きな善い行いは非情だと思われることもある、ということである。言うは易し、行うは難しという面があることが、常に意識しておきたい価値観である。
■「会計を活きたものにする」との信念
監査法人にいる時から、会計のバイブル本として、何かあったら読み返していて、会計がどこか地に足が着かない、と感じていたものを 「会計を活きたものにしなければならない!会計を活きたものにしたい!」という想いに変えてくれたのが、京セラの稲盛和夫さんが著された「稲盛和夫の実学」。
読んで頂くと分かるが、「会計がわからんで経営ができるか」という稲盛さんの熱い想いがひしひしと伝わってくる 、経営のための会計本である。
地に足の着いた経営のための骨太な会計原則が掲げられており、規模の大小を問わず、全ての企業が適用すべきと思われる会計原則が記載されている。
これを読むと 経営における会計の重要性が再認識できるし、心の底から「会計を活きたものにしたい」「会計を活きたものにしなければならない」と思わせてくれる本である。
私自身が、「志高く」という価値観とともに大切にしているのが、「会計を活きたものにする」という想いである。命を使って成し遂げたい事である。
■「志と会計が変われば会社は変わる」との想い
企業や経営者の志は、理想の未来を表すものだと考えている。志がはっきりしていなければ、行先が分からず路頭に迷う。
一方、会計は現実を表すものであり、現状を正確に表す手段として最適なものであるが、正確な現状把握が出来ていなければ、行先を間違うことになる。
志(理想の未来)と会計(現実)をはっきりさせて、そのギャップを認識することが大事だし、ギャップを解消することが経営である、と思っている。志と会計が変われば、経営のやり方は変わる。経営のやり方が変われば、会社は変わる。だからこそ、志と会計の両者を整えておかなければならない。
「志高く」という想い、「会計を活きたものにする」という想い、いずれも自分の中で人生をかけて取り組んでいきたいテーマである。
これからも自分の命を使って、クライアントや周りの人の志の実現を支援すること、会計を活きたものにすること、をしていきたいと思う。